返事を思案する美鶴の様子に、綾子が再び提案する。
「それとも、何か取りましょうか?」
「あ、はい」
さすがママだな。
「何にする?」
「えっと、別に何でも」
「何でも? うーんそうねぇ、じゃあうどんでもいいかしら? 私、お腹は空いてるけど重たいものを食べる気分ではないの」
「あ、はい。うどんでいいです」
綾子は立ち上がり、自身の鞄から携帯を取り出すと、再びカウンターの方へ入っていく。電話帳でも探しているのだろうか? 身を屈めては頭を出し、ウロウロと行ったり来たり。
自分も何か手伝おうかと美鶴が腰を浮かせた矢先、あった と小さな声をあげて綾子は紙切れを取り出した。
「何がいい?」
「えっと…」
「私はいつもきつね。でも若い子は山菜とか頼んだりするわね。南蛮も好評みたいだけど、私は食べた事がないから美味しいかどうかはわからないわ。素うどんもあるけど、それではちょっと物足りないのよね」
「あ、じゃあ私もきつねうどんで」
美鶴の返事に綾子は頷き、電話で簡潔に注文する。
「お昼時だから、ちょっと遅くなるかも」
美鶴の傍に戻りながら肩を竦める綾子。その仕草は昔と変わらない。
慣れた仕草で着物の袖を扱う。品良く腰をおろす。小柄で、こうして見ていると風にでも吹き飛ばされてしまいそうだが、これがなかなかのやり手だ。
バリバリ働いてますって雰囲気なんか、微塵もないのにな。
むしろ、敏腕ママの余裕というヤツだろうか? ならば逆に、この奥ゆかしい雰囲気が恐ろしくも感じられる。
ふと、視線が合った。なぜだか後ろめたさを感じて美鶴は視線を落す。
「すみません、いただきます」
グラスを手に取り、アップルジュースを一口飲んだ。甘い香りが、喉に優しい。
「それにしても、ずいぶんと久しぶりね。今は… 高校三年生だっけ?」
「いえ、まだ二年です」
「二年かぁ。だったらもう学校にも慣れたわよね」
「はぁ」
まぁ、普通の高校ならそうだろうな。
「元気でやってる?」
「まぁ」
「まだテニスやってるの?」
テニス。
その言葉が、美鶴の胸のどこかをチクリと刺した。
中学時代、美鶴はテニス部に所属していた。だが、今はテニスとは離れている。
再びやりたいとは思わない。もともと大して上手でもなかったし、それに―――
突然脳裏に浮かんだ、子犬のような愛くるしい瞳。頭の中から追い出すように、美鶴は語調を強める。
「いえ、テニス部には入ってないので」
「あら、何か別の事でも始めたの?」
「いえ、別に何も」
「あらあら、それじゃあ毎日お勉強? そう言えば、結構な進学校に行ったんだったわね」
「それほどでも」
「でも私立でしょう? 勉強、結構大変なんじゃない?」
大変、と言えば大変かもしれない。入学から常に学年トップを保ってきている美鶴は、勉強量も半端ではない。家庭教師やらを何人もつけている同級生たちと張り合うには、月並みの努力では話にならない。
だが美鶴は、それを苦だと思った事はない。むしろ、成績発表のたびに同級生たちを見下す快感に魅せられている。
それが唯一、美鶴の楽しみ。
グラスに口をつける。
今の美鶴に、それ以外の目的はない。いや、今の美鶴にではなく、今までの美鶴には―――
「私立は夏休みも冬休みも勉強だって聞いたわ」
「そんな事ないですよ。休みはちゃんと休みです」
「あら、じゃあ、結構楽なの? そう言えば、今は学生さんも週休二日だったっけ? 今日はお休み?」
「いえ、今日は……」
そこまで言って、美鶴は口ごもってしまった。休みではないと言えば、つまりは学校をサボって来たと言う事になる。美鶴の場合、正式にはサボったわけではないが、むしろ事情はもっと厄介だ。
「今日は……」
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